20周年という節目を迎える今年の<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>。中でも目玉といえば、1997年に行った初開催時、大豪雨の中、今もなお語り草となる伝説的なライブをみせたレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下、レッチリ)だろう。バンドとしての歩みは既に結成から33年を数え、メンバーの脱退劇を含めたその数奇な人生ドラマ……苦難を乗り越えながらも力強くメインストリームを生き抜くバンドの姿はまるでスーパーヒーローのようでもある。いよいよ6月17日(金)にリリースする最新作『ザ・ゲッタウェイ』をひっさげ、パーフェクトなタイミングで来月、苗場の地に再降臨する。MTVではそんな奇跡のモンスターバンド、レッチリを大特集! MTVで彼らの軌跡を目の当たりにする前に、Qetic編集部でこれまでの濃厚な活動をまとめたので、予習にどうぞ!

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1983年、ボーカルのアンソニー・キーディス(以下、アンソニー)、ベースのフリー、ギターのヒレル・スロヴァク(以下、ヒレル)、ドラムのジャック・アイアンズ(以下、ジャック)というロサンゼルスのハイスクールの同級生によって結成されたレッチリは、当時大胆なミクスチャー・サウンドを武器に、異例の勢いでキャピタル〈EMI〉との契約を果たす。そして、ポストロック/ニューウェイブの雄、ギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルによるプロデュースの元、華々しくバンド自身の名を冠したアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』でデビュー。……といくはずが、ヒレルとジャックは早々にバンドから脱退、その上、的外れなサウンド・プロデュースの結果、彼らの持ち味のエネルギッシュな一面は著しく後退した作品に……。これに憤ったメンバーが、プロデューサーのアンディ・ギルに犬の糞入りのピザを送りつけたというのは有名な逸話である。翌年、ヒレルがバンドに復帰し、今度はファンクの大御所ジョージ・クリントンをプロデューサーに迎え、その実、レッチリの重要なルーツであるファンクに真っ正面から取り組んだアルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。さらに翌年にはジャックも復帰し、オリジナル・メンバーが再結集して作られたアルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』では、前作で試みたファンクをロックとうまく掛け合わせ、グルーヴィでパワフルなバンド独自の音楽——ここ日本でも特に親しまれている「ミクスチャー・ロック」というジャンル——を確立させたのだった。

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Red Hot Chili Peppersさん(@chilipeppers)が投稿した写真 –

左からヒレル、アンソニー、ジャック

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Red Hot Chili Peppersさん(@chilipeppers)が投稿した写真 –

左からアンソニー、フリー、ヒレル(ライブの様子)

メンバーの再合流を遂げ、順風満帆に見えたレッチリだったが、88年にヒレルがドラッグのオーバードーズにより急逝。親友を失ったあまりのショックでジャックもほどなくしてバンドを離れてしまう。深い悲しみに襲われながらも、アンソニーとフリーはバンド存続を決意し、新メンバーのオーディションを敢行。ドラムにチャド・スミス、そして当時18歳という若さのギタリスト、ジョン・フルシアンテ(以下、ジョン)が加入、のちにレッチリ黄金期メンバーと言われるメンバーが揃い、バンドの再出発を目指した。

Red Hot Chili Peppers – Higher Ground [Official Music Video]

1989年、ヒレルが生前描いたという絵画を裏ジャケにあしらい、新生レッチリで完成させたアルバム『母乳』は、過去最大のヒットを記録。中でもスティーヴィー・ワンダーをカヴァーした”Higher Ground”がバンドにとって初のヒット曲となるのだが、皮肉なことにこの曲を入れるように指示したプロデューサーとバンドの間で軋轢が起こり、この事を発端にバンドはキャピタルからワーナーへ移籍する。そうして1991年、以後今日まで全作品のプロデュースを手がけることになるリック・ルービンを迎え、バンドにとって過去最高傑作となる『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』を完成させる。メロディアスでグルーヴィでロック、今のレッチリのイメージはこの頃から確立されたといってもいい。名実共にスーパー・バンドに成長したレッチリだったが、ワールド・ツアーの最中、しかも来日公演中というタイミングで急遽、ヘロイン中毒と鬱病によりジョンがバンドを離れてしまう。

Under The Bridge

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