アメリカにおけるR&Bの変容

一方、バンクスの拠点であり、R&B総本山であるアメリカはどうだろうか。前提として共有すべきは、アメリカにおいて巨大なメインストリームでもあるR&Bというジャンルはある意味停滞していたということだ。リアーナやビヨンセ、艶かしく歌い上げる男性シンガーたち。大いに魅力的かもしれないが長らく代わり映えのしない顔ぶれ。そしてチャートの主としての責任なのか、EDMの隆盛以降は一気にその方向性をダンス・ポップ一辺倒にシフトしてしまった。R&Bそれ自体への新たな試みは無いままに。R&Bへの変化(ないしは更新)は「周縁」、つまりアンダーグラウンドからもたらされた。手前味噌な話だがインターネットによる「制約からの解放(制作プロセスの共有やサンプリング・ソースの多様化)」は、ミックス・テープ文化を媒介しながら、09年以降ドレイク、ザ・ウィークエンド、フランク・オーシャンといったアーティストを生み出し、「オルタナティヴR&B」、「インディーR&B」といったジャンル名を与えられながらその存在感を増してきたことは多くが知るところだろう。トロりと溶けてしまいそうなアンビエントなサウンドとマッチョな価値観とはかけ離れた世界観は様々な領域を侵食しながら、間違いなく従来のR&Bの定義を更新した。

“Black Cab Sessions”

ただ一つ変わっていないこともある。かつて「レイス・ミュージック」の代わりとして用いられ始めた歴史のある「R&B」というジャンルは未だにアフリカン・アメリカン(やヒスパニック等の非白人)の音楽であるという表象のくびきからは逃れていないことだ。新世代を象徴するドレイクやザ・ウィークエンド、そしてフランク・オーシャンもやはりカラード(非白人)なのである。R&Bを「輸入」した立場であるイギリスがその音楽的フォーマットを存分に活用しながら人種的制約から比較的自由に新しいR&Bスターを生み出しているのに対して、生誕の地=アメリカではまだ人種的な前提がどこか無意識であれ残存していると言ってもいい。