現在の日本で野外音楽フェスティバルといえば、ロックフェスが主流であるが、近年は海外ダンスミュージックフェスの日本開催の影響や、EDMの流行などによりダンスミュージックが軸となるフェスも大変盛り上がりを見せている。

しかし、1990年代後半から2000年代中盤にかけての世界的なトランスブームにより、国内でもレイヴと呼ばれるアンダーグラウンドなエレクトロ・ミュージックの野外パーティが数多く開催されており、1万人規模のパーティが開催されるなどレイヴシーンが盛り上がりを見せていた。

この当時、国内レイヴカルチャー、トランスパーティのムーブメントを加速させた<SOLSTICE MUSIC(以下、ソルス)>はシーンにとって欠かせない存在であった。<ソルス>は96年にDJをしていたCHIKA氏とAKIRA氏が出会いカナダで誕生。98年に日本に活動拠点を移し、「ワールドクラスのパーティを日本に、遊びに来た人へ心に残る体験を」と、数多くのトランスパーティを開催。その中でも<SOLSTICE MUSIC FESTIVAL(以下、SMF)>は1万人以上を集めるなど伝説的な野外パーティとなった。その後も数々のレイヴや、トランスパーティを成功させ、多くのオーディエンスから支持を得てきたが、2008年に<ソルス>は世界的なシーンの衰退とともに活動休止宣言をした。それから8年がたった2015年8月。<SMF>の復活がアナウンスされ話題となっている。

国内トランスカルチャーのブームの先駆けとなった<ソルス>とは? 数々のパーティを成功させ続けるなかでの突然の活動休止宣言に、8年ぶりの<SMF>の復活。そして<ソルス>としての空白期間。また、近年ポルトガルやハンガリー、ドイツなどヨーロッパで盛り上がりを見せているトランスシーンを受け、どのように<SMF>は開催されるのか。プロデューサーであるAKIRA氏から直接話をうかがえることとなった。

SOLSTICE MUSIC FESTIVAL “global trance festival 2002”

Interview:AKIRA

楽しめる遊び場を作るためにカナダでスタートしたアンダーグラウンドパーティ<SOLSTICE>の誕生。そして日本へ。

ーーそもそもなぜカナダで<ソルス>をはじめたのでしょうか?

90年代半ば、僕はカナダ人と日本人でバンクーバーのシェアハウスに住んでいていましたが、友人を介してヴィクトリア島に住んでいたCHIKAと知り合いました。当時のバンクーバーはコアな音楽で遊べる場所がなかったので、ふたりでバンクーバーとヴィクトリアの家を1カ月交互に行き来しパーティをはじめましたが、そのパーティが100人、150人と集まってくるようになってしまって、広いシェアハウスでしたが、さすがに続けていたら家をいろいろなところからマークされるようになってしまいました(笑)。

ーー海外の広い家といえども、その人数では小規模なクラブとかわりませんね(笑)。

これは良くないなと、96年にしっかりとウェアハウスを借りて、アンダーグラウンドな形式で<ソルス>のパーティはスタートしました。はじめは<ソルス>のロゴとポケベルの番号だけ載せたフライヤーを撒いて、連絡がきた人にのみ開催日を告げ、開催当日の2時間前くらいまでじらして会場を発表してパーティをしていました。

ーー凄いシステムですね。限られた人だけ参加できるパーティ……ワクワクします。

これは当時のロンドンのアンダーグラウンドなトランスパーティで実際に行われていた形式で、僕たちはそのやり方を忠実にカナダで再現しようとしたんです。96年にスタートしたこのウェアハウスの<ソルス>のパーティは、カナダ人のトランス好きの友人のDJとCHIKAと、年に2、3回開催していました。最初は500人規模でしたが、口コミなどでパーティの話は広がり、最終的には1500人規模のパーティになりましたが、2年程続けて、98年に日本に帰国してきました。

ーーカナダでシーンを作り、そのシーンとシステムを国内へと持ち込んできたということでしょうか?

日本にこのカルチャーをはじめに持ってきたのは<Equinox(イクイノックス)>だと思います。カナダでの<ソルス>は「遊びの延長だったけどカナダでシーンが作れたし、楽しかったね。」それで満足していましたし、日本に帰ってきても<Equinox>や<Rainbow2000(レインボーサウザント)>といったパーティがあったので、自分たちでやるつもりはまったくありませんでした。それにCHIKAは<Equinox>でもDJもしていましたし、<BOOM FESTIVAL>に出演した時も<Equinox>名義で出るなど、とてもよい関係でした。

ーーCHIKAさんは<BOOM FESTIVAL>に出演していたんですか!? CHIKAさんとAKIRAさんは世界中のパーティを見て、そして参加してきたんですね。

そうですね。<BOOM FESTIVAL>は94年だったでしょうか、96年には<BURNING MAN>でもDJをしています。だけど1990年代後半に国内のそれぞれのパーティは活動を休止してしまいました。それからCHIKAと「遊び場がなくなったね……じゃあまたふたりでやってみようか。」ということで、日本での<ソルス>のパーティを六本木のGEOIDでスタートしました。蓋を開けてみたら1000人近くお客さんが集まってくれて、「日本でもこうゆう遊びを求めている人がいる。」そう感じ、定期的に開催することにしたんです。98年から00年までは横浜ベイホールでも毎月のように開催していました。

SMFが8年ぶりに開催!記憶に残るパーティを作るということとは solstice1

SMFが8年ぶりに開催!記憶に残るパーティを作るということとは solstice4

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