DJキャリア25年、KYOTO JAZZ MASSIVE(以下、KJM)、Tokyo Crossover/Jazz Festival発起人、「THE ROOM」プロデューサー、そして音楽プロデューサーとしてMONDO GROSSO、COSMIC VILLAGE、SLEEP WALKER……数多くのプロジェクトに携わり、執筆もこなすなど、多くの肩書を持つ沖野修也。個人、またKJMとしての音楽活動は海外でより著しく、定期で行われるツアーや<Balaton Sound(ハンガリー)>、<NORTH SEA JAZZ FESTIVAL(オランダ)>、<JZ Festival(上海)>など数万人規模のビッグフェスに出演し、ワールドワイドな展開を繰り広げている。

今回、沖野はKYOTO JAZZ MASSIVE結成20周年を機に新プロジェクト「KYOTO JAZZ SEXTET」を始動し、平戸祐介、栗原 健、小泉P克人、類家心平、天倉正敬という日本ジャズ、クラブ・シーンをになう幅広い世代のメンバーを結集。4月15日(水)リリースのアルバム『ミッション』では、ゲストに菊地成孔を迎え、60年代〈ブルーノート〉の楽曲、そしてKJMの代表曲である“エクリプス”を加えた8曲すべてをアナログにこだわり生演奏で全曲カヴァー。あえての生演奏でリスナーに「最新型のジャズ」を提案したかったという。

そしてKYOTO JAZZ SEXTETを“ジャズ日本代表”と称し、沖野自ら監督となり、異なる世代のメンバーの融合と育成、現代風のアレンジを加えながらも、すべてを生演奏にこだわったカヴァーにより60年代ジャズへの再評価も試みる。

またプロジェクトのきっかけである、写真ファンと音楽ファンの結びつけなど、さまざまなミッションをこなしつつも、今後は日本代表として海外のジャズレジェンドとも国際試合をしたいと考えているという。このプロジェクトを通じて生まれた発想と今後の展開について語ってもらった。

Interview:沖野修也

――まずこのプロジェクトを始動させた目的を教えてください。

2年前くらいにKYOTO JAZZ MASSIVE(以下、KJM)の『KJM WORKS』 & 『KJM PLAYS』、そしてROOT SOULがリミックスした『DISTINY Replayed by ROOT SOUL』。この3枚のアルバムの制作を同時進行させていました。KJMは70年代のフュージョン、ジャズ、ファンクの影響を受け、かつテクノ、ハウス、ソウルなどのエッセンスをブレンドしたクロスオーヴァーミュージック。もう一方のROOT SOULは生演奏でブギー、ディスコなどのリヴァイバルのような音楽。両方を制作している時に沖野修也名義、もしくは自分のユニットで「ストレートヘッドなジャズはやってないな」と、ふと気づいたんですよ。

――意外ですが、その気づきがきっかけになったんですね。

他にも、ここ数年の音楽動向を追ってみて、アメリカのジャズ・シーンがまた盛り上がってきたことや、自分の中でもダンスものばかりじゃない、リスニングミュージックとしてのジャズにどんどん傾倒していったというプロセスもありました。このプロセス、そして気づきから本格的にジャズプロジェクトをソロ、もしくは自分がメンバーとして参加するバンドでしてみようと思って。そこから「最新型のジャズとは?」というのを沖野修也からリスナーへ提案する。それが目的ですね。

――最新型のジャズを提案するのに、60年代の楽曲カヴァーというのは不思議な感じがします。

最初は60年代ということにはこだわりはなかったんです。「最新のジャズとは?」ということを考えた時に『「打ち込み+生楽器」、それとも「最新のキーボードを使って、打ち込みをいれる」ことなのか?』とかいろいろ考えて。それこそデトロイトテクノのプロデューサー、カール・グレイグが、昔のジャズミュージシャンと作った音源とかはあったんだけど、僕たちは生演奏をすることでも、新しく提案ができるんじゃないかなって。

――現代的にDTM機材を使用したジャズではなく、あえて生演奏の提案するんですね。

そう。僕は生演奏でも今の時代に沿ったジャズを提案できると思っているんです。例えばロバート・グラスパーのような若手ジャズアーティストがデビューしたことや、彼が『イン・マイ・エレメント』をリリースする前に、ニューヨークでプロデューサーに音源を聴かせてもらい、日本盤のライナーノーツを書かせて依頼されるなど、個人的な体験も関係しています。そこからようやく、「自分だったらどうするか?」と考えた時に、やはり60年代のジャズは避けて通れないという思いがでてくるんです。鑑賞芸術として評価の高い60年代新主流派モードと呼ばれる、ある意味神聖な領域のジャズにあえて向き合うことで、より僕のジャズに対する真剣さの度合いが証明できるかなと。

――その60年代〈ブルーノート〉楽曲カヴァーの中に“エクリプス”のカヴァーをいれた意図というのは?

これは2年前の構想時からあったんです。僕が作った曲を4ビートのジャズアレンジでやってレジェンドの曲と並べた時に、「沖野修也のメロディって悪くないじゃん!」と思われるかもしれないし、はたまた「他の曲と比べて『エクリプス』弱いな」と思われるかもしれない。でも自分の能力をレジェンドと並べることで、僕の作曲能力がどのくらいの程度にあるのかが実証されるし、確認できると思って。吉とでるか、凶とでるかわかりませんが、それは聴いてくれたみなさんがどう思うか。僕自身では判断しません。

Kyoto jazz massive – “Eclipse”

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