5月23日(土)・24日(日)は<フジロック・デイズ>も開催されるなど、本格的に<フジロック>開催を身近に感じられるような時期がやってきました! <フジロック>・オフィシャルショップ岩盤によるウェブメディア「富士祭電子瓦版」には先日、HYSTERIC GLAMOURの北村信彦さんが登場。Qetic読者もきっと好きなパンクの女王との出会いについて語っています。今回もインタビューの一部をチラ見せ!

text by ヤーマネ

各界のキーパーソンたちが思いのままに<フジロック>を語り尽くす「TALKING ABOUT FUJIROCK」。今回登場するのは、HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)のクリエイティヴ・ディレクター、北村信彦さん。

HYSTERIC GLAMOURといえば、1960〜80年代のロックやアート、ポルノグラフィといったポップカルチャーのエッセンスを注入した、オリジナリティ溢れるドメスティックブランドだ。北村さんによると原体験として音楽からの影響は大きく、<フジロック>にも出演している“あるアーティスト”がいなければ、今日の自分自身は存在していないという。憧れの人物と出会えた苗場での夢のような体験を踏まえて、自身にとっての<フジロック>の意義を語ってくれた。

Interview:北村信彦

パンクの女王とヒステリック・グラマー北村氏の出会い秘話 interview_kitamura_2

直接宛てたパティ・スミスへの手紙。

——北村さんがはじめて<フジロック>を体験したのはいつですか?

2001年です。パティ・スミスとニール・ヤングが来日した年です。某雑誌の広告でフォトシューティングをやったんですよ。俳優の永瀬正敏くんをカメラマンに起用して、<フジロック>に来客した人達にウチの洋服を着てもらうという。モデルになる女の子を見つけるのが大変だったので、三日間かなり歩きましたね。ライブを観る余裕はほとんどなかった。

——仕事とはいえ音楽好きとしては悩ましいところですね。

忘れられないのは、パティ・スミスが<フジロック>に2回目に出た2002年ですね。どうしても僕はパティに会いたくて、当時彼女が所属していたレコード会社の方にパティへの手紙を託したんです。自分が中学生のときにラジオではじめて聴いたパティの曲“ピス・ファクトリー”に衝撃を受けて、ニューヨークパンクを入口に、パティのジャケットを撮っていたロバート・メープルソープや、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとアンディ・ウォーホルの関係を知ることで、音楽とアートが絡んでいることを教えてもらった。そこを軸に掘り下げたことで、ミュージシャンたちが着ていた洋服にも影響を受けてファッションを勉強し始めたんです。

——なるほど。パティ・スミスは音楽だけでなく、ファッションに興味を広げるきっかけにもなっているんですね。

僕がブランドを立ち上げるときにもパティから学んだことが役立っていて。ブランドを始めて、いろいろなプレッシャーから荒れた時期があったんですよ。そのときにパティが何年か振りにリリースした“PEOPLE HAVE THE POWER”が収録されている『ドリーム・オブ・ライフ』というアルバムにすごく救われたんですね。あなたがいてくれて、今の自分がある。そんな内容の手紙を書いて、レコード会社の方に渡したんです。前日まで何の返答もなかったけど、<フジロック>初日の午前中にレコード会社の方が「パティが会ってくれると言っていますよ」と連絡をくれて。パティにはいくつかのインタビューのオファーが届いていたけど、一切受けていなかったらしいんですよ。でも、僕には会うと言ってくれたらしい。何が何だかわからない気持ちでしたが本当に嬉しくて。

——パティ・スミスと会ったシチュエーションを憶えていますか?

たしか昼ぐらいだったかな。ホスピタリティエリアに呼ばれて、パティと話したんです。手紙に書いた内容を直接伝えて、過去に作った彼女をイメージしてコラージュしたTシャツをプレゼントしたくて、その日のために版を作り直して刷って持って行ったんです。それと、ウチは洋服以外に森山大道さんをはじめ日本の現代写真家の写真集を出版していて、幾つかの写真集を見せたんですよ。そしたら、パティが「自分でものづくりをしているのに、他のクリエイターをサポートしているのは素晴らしいことだわ」と褒めてくれて。わざわざプレゼントしたTシャツに着替えて、ステージ用のブーツも履いてきてくれて、写真も撮っていいって言ってくれたんです。

——たしか、その年のパティ・スミスはフィールド・オブ・ヘブンとレッド・マーキー以外に、タイムテーブルにはなかったポエトリーリーディングをジプシー・アバロンでやっていますよね。

そうです。「観にいらっしゃい」と誘ってくれて。突然決まったことだったから最初は20〜30人くらいのお客さんだったのに、気づいたら何百人もの人だかりが出来ていましたね。詩の朗読が終わった後のMCで、「本当はやるつもりはなかったけど、今日ある人に会って初心を思い出したわ」と言って、 “ピス・ファクトリー”をやったんですよ。

——その人、間違いなく北村さんですよね。

鳥肌が立ちましたよね。翌日のフィールド・オブ・ヘブンのライブはパティが黄金に輝くマリア像のように見えて、「パンクの女王」と呼ばれているけど、女性ヴォーカリストとしての凄みを実感できるライブだった。最終日のレッド・マーキーは身動きが取れないほどお客さんが入っていて、初期のセットリストでライブをやったんですよ。そのときのパティは銀色に輝くジーザスだった。終盤は目隠しをして叫んだり、床を這い回ってギターの弦を切ったり、ものすごく本能的なライブでした。“PEOPLE HAVE THE POWER”で会場は大合唱。僕が<フジロック>で観たベストショーはあのレッド・マーキーのパティ・スミスです。

パンクの女王とヒステリック・グラマー北村氏の出会い秘話 interview_kitamura_3

text&interview by 加藤将太
photo by 横山マサト

★パティ・スミスの写真集『CROSS SECTION』は<フジロック>の出会いがきっかけ!
インタビュー続きはこちら▶︎TALKING ABOUT FUJI ROCK:北村信彦