5月に入って暑い日も増えてきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 思い浮かぶのはアツい日差しとアツい音楽、<フジロック>ですよね! そんなアナタもそうじゃないアナタも、「富士祭電子瓦版」で語っている栗原類さんの稀有な<フジロック>体験を知れば一気に気分は苗場でしょう。(text by Hitomi Eda)

各界のキーパーソンたちに<フジロック>の魅力を語り尽くしてもらうこの企画。第7回目となる今回は、日本のファッションモデルとしてファッション誌やショー、TVでも活躍する栗原類さんが登場です。音楽好きとしてメディアでも広く知られる栗原さん。幼少期から洋楽を聴く環境で育ち、実は早熟なフェス・デビューを遂げていることなど、“TALKING ABOUT FRF”ならではのエピソードが語られています。栗原さんの個性が垣間みられるファッション視点での<フジロック>や音楽話にも注目です。

Interview:栗原類

母に連れられ、3歳でフジロック・デビュー

フジロック玄人・栗原類が考えるフジロックの楽しみ方とは interview150515_kurihara_sub1

–栗原さんといえば「<フジロック>で見かけた芸能人まとめ」で必ずお見かけするのですが。実際、はじめて行った<フジロック>は何年の時だったのでしょうか?

初めて行った<フジロック>は、文字通り“一番最初”の<フジロック>でした。

–え!?“一番最初”ということは97年の天神山スキー場、あの伝説と呼ばれた1回目ということで間違いないですか…??

はい、あの大雨の一回目です。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下、レッチリ)が出演した本当に最初の<フジロック>です。

–当時おいくつだったのですか?どなたかに連れられて、ということですよね??

当時が97年だから、僕は本当に子供の時ですね。2歳か3歳ぐらいだと思います。実は母親が元々音楽ライターでありまして、それで<フジロック>という場でインタビューなどもやっていました。それで連れていってもらったのが最初です。

–なるほど、栗原さんぐらいの歳の人に「はじめての<フジロック>は?」と質問したら、だいたい3年前ぐらいと答える方が多いので。

そうなのですか? 僕も当時の記憶は行ったということ以外、ほとんど覚えてません。あの豪雨を味わったというぐらいで(笑)。あとは確か、レッチリの前にフー・ファイターズがも出ていました。母親に連れて行ってもらって普通に一緒にライブを観ていましたから母親の友達から、あの環境で豪雨の状況にいた僕を見て「すげえな……」といった感じで関心されました。雨がどんどん酷くなってまわりの大人たちが「終わりだー」と言ってたり、マッシヴ・アタックも2日目に出る予定でしたが、初日であえなく中止に。

–3歳で<フジロック>の一回目を体験しているって。栗原さんすでに<フジロック>の大ベテラン組でないですか(笑)!

この時僕もまだ本当に小さい子供だったので、自分の意志というものがまだ明白ではなかったです。どのアーティストが好きでというより、母親に連れられて毎年一緒に行くという感じです。でもこの当時で考えるとこのような凄いラインナップが日本で観られるというのは滅多になかったことだと思います。

–小さい頃に体験した<フジロック>、初年度以降にも幼き栗原さんの中に特別な思い出はありますか?

小さかった僕は音楽を楽しむという思い出より、“自然と遊ぶ”という感じでした。母親がインタビューなど仕事をしている間、近くの草むらで網とカゴをもって虫取りをしてました。トンボを20匹ぐらい大量に捕まえてカゴに入れて、仕事終わりの母親に見せてビビらせてた、という覚えがありますね(笑)。

–楽しい思い出ですね。では物心がつき、自分の意思で「<フジロック>に行こう」と思ったのはいつ頃ですか?

それは多分、10年ぐらい前だったと思います。本格的に自分でも行きたいと思いはじめたのは。

–その頃に「音楽フェスティバル」ということを理解して行きたいと思いはじめた訳ですね?

フェスを意識というより、やっぱり昔から行ってるのでまた行きたいなという自然な気持ちでしたね。そこが<フジロック>であることは徐々に認識していったのですが、僕にとって毎年の夏の良い思い出だったのが大きいです。小さい頃から必ず行く場所、それが習慣づいて自分でも行こうと思うようになったんです。

フジロック玄人・栗原類が考えるフジロックの楽しみ方とは interview150515_kurihara_sub2

text by Asami Shishido
photo by 横山マサト

★栗原類、<フジロック’15>での驚くべき目標!?
インタビュー続きはこちら TALKING ABOUT FUJIROCK:栗原類