――その当時だとスクラッチもかなり稀な技ですよね。

国内で僕の前の世代だと、六本木系の職業DJでヒップホップにハマっていた方を除いては、当時はその世代のスクラッチで有名な人だとヒロシ(藤原)君しかいなかった印象ですね。高校時代は学校で寝ながら、家で毎日10時間以上DJの練習をし続けて、バイト先の洋服屋さんで自分のミックステープを流していたら、高校3年生の時に地元の岐阜から近い名古屋にあったツバキハウスの影響を受けていた、スクールという箱でDJをやらせてもらえるようになりました。それが丁度30年前。初めてお金をもらってDJしたんですけど、そのお店のレジデントになって、毎週火曜と金、土曜に出演していました。そこからがプロDJキャリアのスタートになりますかね。

――18歳かつ高校生でプロとしてのキャリアをスタート。とても早いですね。

その前はお宅DJだったので、DJ歴としては30年よりもう少し長いんですけどね。スクールでは、今時の音とニューウェーブに、ヒップホップやロカビリーもミックスしたり……その頃は、ひとつのジャンルで一晩流そうと思っても、そこまでレコードがなかったんです。

――想像ですが、80年代前半にクラブミュージックのレコードを揃えようと思っても、難しそうな印象があります。

名古屋ではレコード屋に週2は通っていましたけど、ヒップホップでも全部で奥行き15センチくらいの幅のコーナーしかなくて、それでも新譜が入る度に試聴させてもらえないので、とりあえず全部買っていました。コレクター資質も強かったですし、当時はリリース量もかなり少なかったので、全部買いが出来ました。東京にも3か月に1度くらいのペースでレコードを買いに行いきましたが、六本木のウェーブでヒップホップは奥行き30センチ幅の棚が2列並んでいて、大体のレコードは持っていましたね。当時は今よりも体重が20キロも軽く(笑)、実家の家業の手伝いの他に高校生モデルをやっていて、お金を貰ったらすぐ東京に行っていました。広告とかに出ると、モデル料は5万円位だったと思いますが、電車の往復が2万。宿泊施設は使わないでナイトクラブや公園で翌日迄過ごして、朝になったら残りの3万円でレコードと洋服を買って帰る。ということを繰り返していました。

また、MILKというブランドのデザイナーの大川ヒトミさんという方に随分とお世話になり、「KO君レコード買いに来たいでしょ? だったらファッションショーに出れば交通費出してあげるよ。」みたいな感じで誘って頂いたりして、レコード漁りとファッションを楽しんでいました。

日本DJ界のパイオニア。KO KIMURAが見てきた国内外クラブシーン30年史 kk30_q_1_12

19才。当時はヴィヴィアン・ウエストウッドの服とかも着ていたり。

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KO KIMURA 19歳。この時代はDJと言えば長髪がデフォルトです。

――まさにスーパー高校生ですね。

その頃に、当時は学生ですが今はネイバーフッドというブランドをやっている滝沢晋介君や、グラフィックデザイナーをやっているSKATE THING君。僕より先に東京に出ていた岐阜出身のナチュラル・カラミティの森君の紹介で、小林径(KEI KOBAYASHI)さんとかと仲良くなって、「名古屋からよく東京にレコードを買いに来るスクラッチが上手な高校生がいるよ。」という風に周りに話をしていてくれたみたいで、東京でも飛び入りでDJが出来るようになりました。クラブに飛び入りDJして、2枚使いでブレイクビーツをやってリズムを続けていく。その横でランキン(タクシー)さんがレゲエのMCをはじめたりして。当時はヒロシ君も僕が東京で居候していた森君のマンションの上の階に住んでいた事もあって、家に遊びに行ったりさせて頂いたりと交流はあったんですが、ヒロシ君たちはタイニーパンクスといってロンドンファッション中心の原宿オシャレ系チーム。僕はそことは別のアメリカンカジュアルの西麻布チームとどんどん仲が良くなって行って……。

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高校生モデル写真とその後のFMGG時代。今より大人の貫禄が……。

――そうそうたる方々と、国内クラブシーンやカルチャーの聡明期を過ごし、創りあげてきたんですね。

田舎の高校生が東京に出て、飛び入りでDJが出来て、横で当時は今程有名ではないにしても、あのランキンさんが歌っていたら、「俺イケてるな。」そんな風に思ってしまいますよね(笑)。その頃、小林径さんたちが「ファンクマスター・ゴーゴーっていうバンドをやるから、そこでスクラッチやってよ。」そう声をかけて頂いたのもあって、19歳の時に上京しました。当時は服飾学校に通って、DJをしながら、ファンクマスター・ゴーゴーというバンド活動もやっていましたね。LL COOL Jとかの前座もやりました(笑)。その頃、名古屋時代の先輩がN.Yに渡米したので、『ULTIMATE BREAKS & BEATS』というブレイクビーツの元ネタ集を買ってきて欲しいとお願いしたら、買ってきてくれたんですけど、「KO君、こんな事をしている場合じゃないよ。N.Yのクラブではパラダイスガラージってところで、ガラージと今最新のハウスってジャンルしかかかってないよ。」と……。

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