日高正博
INTERVIEW

フジロック生みの親、日高正博氏が語る『フジロックができるまで』 #fujirock

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2016年7月22日(金)、23日(土)、24日(日)の三日間、新潟県 湯沢町 苗場スキー場で今年も開催することが発表された今年も国内最大級のロックフェスティバル<FUJI ROCK FESTIVAL ’16(フジロック・フェスティバル ’16)>。ラインナップやヘッドライナーも徐々に発表され、今年も苗場への期待が高まってきますね。

そんな今年の<フジロック>。オフィシャルショップ「岩盤」によるウェブメディア「富士祭電子瓦版」では、<フジロック>を主催するSMASH(スマッシュ)の代表・日高正博氏! <フジロック>が記念すべき20回目を迎えるということで、「TALKING ABOUT FUJIROCK」特別篇が掲載されています!

text by Qetic・Daiki Hayashi

各界のキーパーソンによって<フジロック>を語り尽くすコーナー「TALKING ABOUT FUJIROCK」。『富士祭電子瓦版』が立ち上がって以降、大物女優から人気お笑い芸人まで、様々な著名人が登場した本コーナーに、ついに登場するのは……<フジロック>を主催するSMASH(スマッシュ)の代表・日高正博氏! <フジロック>が記念すべき20回目を迎えるということで、「TALKING ABOUT FUJIROCK」特別篇をお届けします!

インタビュアーは、『富士祭電子瓦版』の立ち上げ人であり、<フジロック>オフィシャルショップ・岩盤/GAN-BANの代表を務める豊間根聡氏。昨年の『瓦版』立ち上げ時から、多くのインタビュー企画やコラム連載を行ってきた私もその場に立ち会うことになり、「これまで話さなかったことを含め、<フジロック>のすべてを話す」とだけ伝えられて向かったのは、日高氏の自宅。<フジロック>の話はもちろん、日本の音楽イベントや音楽フェスの歴史を包括するような話を、右から左へ、過去から未来へ、縦横無尽に日高節を炸裂させ、予定の時間を大幅にオーバーして語り尽くしてくれた(途中、「ビールでも飲まないか?」ということで、乾杯を挟みながら進行!)。その臨場感を含め、3時間に及ぶインタビューの内容をできるだけそのままの形でお伝えするため、本インタビュー企画は3部構成でお届けしたい。

初回となる今回は、<フジロック>開催以前のスマッシュ立ち上げ期にフォーカス。当時感じていた音楽業界へのフラストレーションが<フジロック>を開催するモチベーションになっていったこと、その当時出会ったアーティストの多くが<フジロック>を語る上で欠かせない存在になっていったこと、そして今年ヘッドライナーとして出演が決まっているレッド・ホット・チリ・ペッパーズとの出会いから、今日に至るまでの熱い絆を感じられるエピソードまでを語ってもらった。

Interview:SMASH 代表・日高正博氏

豊間根 瓦版の人気シリーズで色んな人たちにフジロックを語ってもらう『TALKING ABOUT FUJI ROCK』というコーナーがあって、今回のインタビューはそこで……。

日高 どのくらい人気なの?

豊間根 大人気です!

日高 大人気じゃわかんねーよ。どっかの家具の大売り出しじゃあるまいし。

豊間根 ははは! そのコーナーの特別編で『20thアニバーサリー・フジロック・スペシャルインタビュー』という形で日高さんのインタビューをやります。

日高 で、誰がインタビュアーなの?

豊間根 オレです。

日高 確かにそんなこと言っていたなあ。この前おでん食いながら。

豊間根 そうです、そうです。で、<フジロック>初年度97年って、オレ30だったんです。

日高 は? お前が? 97年の時30歳? って、ことは今年50?

豊間根 来年50です。(瓦版編集部の)津田が昨日30歳になりました。だから津田は97年の時は、10歳なんです。

日高 へー。

豊間根 <フジロック>のお客さんは結局彼みたいな世代になってきているわけです。それで、それこそ97年、どうしてその年に日高さんが<フジロック>をやるっていうアイデアを思いついたのか。97年までの話をまず聞きたい。

日高 ちびちびちび(つまらなそうに愛犬を撫でている)

豊間根 (苦笑)。おでん食いながら話しましたけど、その辺の話をまず聞きたい。それから苗場に行って……。

日高 おっけー、いいよ。

豊間根 では早速。97年に日高さんが<フジロック>をはじめる。スマッシュが<フジロック>をはじめる前に……。

日高 ごめん、なんか灰皿いるだろ? ごめんごめん、俺、人の話ぶち壊すの大好きだから(笑)。

豊間根 はい、知っています(笑)。本当に根本的なところで、<フジロック>のベースとなるアイデアに“音楽を聴く環境”っていうのがあったと思うんです。スマッシュの初期、コンサートプロモーターとして、日高さんの今の仕事に繋がる初期の段階。あの当時、それこそ<フジロック>が97年ですから、ちょうど10年前、85年ぐらいから<フジロック>が始まるまでの10年っていうのは、まだまだコンサートホールでコンサートをするっていう時代でしたよね?

日高 巻けよ! 長い(笑)!

豊間根 (笑)。その頃の日高さんの思い、やっぱり会場は重要だな、環境は重要だなってところをまず喋ってもらいたい。

日高 あのね、まあその事が実は<フジロック>に繋がるんだけれども、今振り返ればね。スマッシュを作る前、32、3年前ぐらいにね、当時は日本のバンドのマネージメントを任されていて。当時一番興味があったのが、やっぱりルースターズ。これには入れこんだよ。もう俺、ロックパイルだと思ったからね。まあ、分かる人には分かるっていう(笑)。ただその他に日本の大きなバンドのマネージメントを任されていて、やりたくなくてもやっていたんだよね。ただあまりにも、どうしても芸能界に触らなきゃいけないってことが、ほんっとに嫌で嫌でしょうがなかった。でまあ、そこを辞めたわけだよ。で、その時自分には二つの道があったんだよ。ちょうど、30過ぎていたなあ、ちょうどか。

日高正博

次ページ:“スマッシュ”っていうのはさ、なんでそんなタイトルにしたかっていうと、ぶち壊したかったんだよね

Qetic編集部

編集部

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