今、スマートフォンやデジタルカメラで瞬時に写真が撮れ手軽にSNSでシェアできるなか、国内だけでなく世界各地で“kawaii”インスタントカメラとして人気を伸ばしている“チェキ”。独特なアナログ感と手のひらサイズが魅力のチェキですが、撮ってみると改めて写真の魅力を感じさせられますよね。そんなチェキを使って、世界トップDJのジャイルス・ピーターソンが“特別な瞬間”をおさめた「東京“チェキ”ダイアリー」が『Cheki Press』内にて掲載されています。Qeticでは今回、写真ならではの魅力を彼のキャリアを振り返りつつ語っている記事を一部ご紹介!

日々の生活の様々な出来事から“特別な瞬間”を抜き出して、豊かな思い出へと変えてくれる写真。それはもしかしたら、音楽のDJにも近いものなのかもしれません。ロンドンを拠点に世界各地を飛び回るトップDJ、ジャイルス・ピーターソンさん。彼は10代の頃、自宅の庭を拠点にした海賊ラジオの配信を通じてキャリアをスタート。音楽レーベルでの活動やラジオ番組のMC プレゼンター、クラブDJ、音楽プロデューサーとして幅広く仕事をこなしながら、その時々ならではの、最高の瞬間を記録し続けてきました。14年にはブラジルのリオデジャネイロのミュージシャンたちとの音楽プロジェクト、ソンゼイラを結成しアルバム『Brasil Bam Bam Bam』をリリース。そして日本では今秋、その制作風景とリオの文化を記録した映画『ブラジル・バン・バン・バン~ジャイルス・ピーターソンとパーフェクトビートを探しもとめて~』が公開されています。様々な土地と文化を見つめ、今なおその魅力に心震わせるジャイルスさん。今回は彼に、旅の記憶や写真ならではの魅力について語ってもらいました!

ジャイルスが語る旅の記憶や写真の魅力 1

Interview:ジャイルス・ピーターソン

――ジャイルスさんは海賊ラジオを始めた10代の頃から、海の向こうの国々に憧れを抱いていたと思います。そのきっかけはどんなものだったんでしょうか?

僕は旅をする家族の中で育ちました。父親がスイス人で、母親がフランス人で、特に父親の出張が多かったので、小さい頃から、自分もそういう風になりたいと思っていたんです。

――では、ご自身が初めて向かった旅はどんなものでしたか。

小さい頃、祖母がノルマンディにホテルを持っていたんです。そこに行くためにサウサンプトンから船で向かうことが多かったんですが、とても古いタイプのボートで、そのたびに船酔いしていたというのが思い出ですね(笑)。

――当初は苦い思い出もあったのですね(笑)。DJとして初めて海外に向かわれたのはどこだったのでしょう?

パリでした。私はロンドンの中でも海外でプレイをしはじめた最初のDJのひとりだったんです。というのも、当時私がプレイしていた音楽はロンドン以外の北部や、他のイギリスの地域ではあまり知られていませんでした。そこで海外のいくつかの土地でレジデントDJを始めました。パリの「シェヘラザード」、ドイツのヴッパータールにある「ビートボックス」、オーストラリアのウィーンの公園にあるクラブの3つです。パリのパーティーにはセレブが来ることも多く、女優のカトリーヌ・ドヌーヴも来ていたそうです。私は気付くことができなかったんですけどね(笑)。旅とは言っても、当時はDJとしてレコードを買うためにとても忙しいスケジュールを組んでいました。月曜日にロンドンの自分のレーベル〈トーキング・ラウド〉で夜8時まで働いた後、夜中の11時にウィーンに到着してすぐクラブに向かい朝8時までDJをして。そのまま寝ないで直接ロンドンのオフィスに戻ってくるという感じでした。

――それは大変ですね(笑)。とはいえ、その後、訪れた土地やそこに暮らす人々の魅力を感じる機会も出てきたのではないかと思います。

そうですね。DJとして様々な国に向かうようになった頃は、ロンドンのカルチャーを現地に持っていくことだけを考えていました。でも時間を経ていくうちに、逆に現地で見つけた文化を持って帰ることの魅力にも気づいたんです。だから、どの場所に行くのも好きですよ。でも自分にとって特別なのは、やはり日本です。日本の人々は私がDJをしに向かうだけでなく、色んなものを返してくれる感じがします。98年か99年頃、DJをするため初めて日本を訪れたんですが、その頃はまだ日本食に対して恐怖心を持っていて、一週間ダンキン・ドーナツを食べ続けました(笑)。

ジャイルスが語る旅の記憶や写真の魅力 2

ジャイルスが語る旅の記憶や写真の魅力 3

――映画『ブラジル・バン・バン・バン~ジャイルス・ピーターソンとパーフェクトビートを探しもとめて~』に登場するソンゼイラというプロジェクトも、まさにそうした中で生まれたものだったのでしょうか。

ソンゼイラは18歳の時にジョージ・デュークの『ブラジリアン・ラヴ・アフェア』という作品に出会い、その30年後に「自分も同じことを実現したい」と思って出来上がったプロジェクトです。リオはポストカードそのままの美しい街でした。人々もフレンドリーでゆったりした感じの雰囲気で、歴史の中で止まっているような感覚はどこかパリのようでしたね。ブラジルの人々の中には、私がDJだと知っていても、プロデューサーでもあるとは知らない人も多くいました。ソンゼイラには、その影響も出ていると思いますよ。向こうで新聞社の取材を受けたんですが、彼らですらその事実を知らなかったので、取材に来て現地のミュージシャンが沢山いる光景を見て、本当に驚いていました。

ジャイルスが語る旅の記憶や写真の魅力 4

――ジャイルスさんが、そうした旅先で必ず行なう習慣はありますか?

旅先ではランニングに行きます。時差ボケの調整になるし、早朝に街を走りながら、外の空気を吸って、現地の人々の様子を見たり、街のにおいを感じることが好きなんです。なので、旅にはランニング・シューズを持っていきますね(笑)。とはいえ、できるだけものを持っていきたくはないんです。その方が、向かった先でゼロから始めることができます。特に日本に来る時は、レコードバッグ以外のは何も持ってこないんですよ。

――なるほど。今回は、東京滞在中に“チェキ”を持ち歩いてもらいましたね。“チェキ”で写真を撮ってみた感想はどうですか?

すごく楽しかった! 大好きですよ! 

――特にお気に入りの“チェキ”を教えてください。

(実際に撮った写真を見ながら)旅をする時は、人からインスピレーションを受けたいし、自分も彼らをインスパイアできたら嬉しいと思っているんです。これは松浦俊夫さん。彼とは本当に長い付き合いで、音楽はもちろんのこと、素晴らしいレストランやモノを教えてくれます。彼がかかわっているものすべてが好きだし、沢山のインスピレーションをもらっていますね。私はセンスのいい人が好きで、彼の趣味は本当に素晴らしいんです。これは彼がDommuneでDJをしている写真です。それから、これは<モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン2015>のTシャツ。僕とモントルー・ジャズにはすごく強い繋がりがあります。今、母がモントルーに住んでいるし、僕自身も<モントルー>から初期のジャズの多くを教えてもらいました。だからそのフェスティバルの日本版にかかわれたことは、自分にとってとても大きな出来事でした。

ジャイルスが語る旅の記憶や写真の魅力 5

納豆をチェキ!? インタビューの続きはこちら。

text & interview by Jin Sugiyama︎
photo by 横山マサト︎
取材協力:株式会社シャ・ラ・ラ・カンパニー/Delightful Dishes “udo”
通訳:木村真理