第52回 奪えないもの

は占い師をやっている祖父は、若い頃レスリングの選手だったらしい。有名な選手だったのよ、と祖母が教えてくれた。祖父の引退試合の対戦相手が、偶然にも当時祖母が付き合っていた年下の彼氏だったという。

「爺ちゃんの引退試合の応援のために、会場にはたくさんの観客が集まっていたわ。私もその日だけは自分のボーイフレンドより爺ちゃんを応援していたの。その年のオリンピックにも出場していたし、試合中とは打って変わってTVのインタビューではもの静かな爺ちゃんは、女性からも男性からも子供からも、とても人気があったのよ。試合会場は暖かい雰囲気で包まれていて、試合前から歓声が鳴り止まなかった。だからまさか若手にあっさり負けてしまうなんて誰も思ってなかったの」

会場中を敵に回しつつ試合に勝った祖母のボーイフレンドは格好いいね、と言うと、「私も最初そう思った。ブーイングが所々で起こる中、審判に腕を上げられた時は確かに格好良かったわね。でも全然嬉しそうじゃ無かったわ。どうしたのかな、と思いつつ控え室に行くとボーイフレンドが泣きながら爺ちゃんにありがとう、ありがとう、と言ってたの。周りの関係者達もそんな2人を見ながらみんな泣いてた。爺ちゃんはボーイフレンドを軽く抱きしめ、関係者達と視線を交わしながら静かに出て行った。私は異様な雰囲気を感じて、ただ黙ってそこに立ってたわ。」

国内外の治安が急速に悪化していた当時、健康な若い男は誰もが戦争に駆り出されていたらしい。スポーツ選手も例外ではなく、本当に実力のある選手でなければ競技を続ける事は難しかったそうだ。だから祖父は、有名選手を負かした若い彼に注目させて、一人でも多くレスリング界に残す事にしたのだ。祖母はそれを聞いて一瞬で惚れてしまったらしい。控え室から出て行った時の爺ちゃんの背中は死ぬまで忘れない、と話してくれた。

なぜ今は占い師なんだろうね、と聞くと「さあね、試合で頭を打ち過ぎたんじゃない?」と笑う祖母の顔はすごく幸せそうだ。庭先に出ると祖父が難しい顔をして何かを占っていた。粋な昔話を聞いたばかりだから祖父がいつもよりたくましく見える。何を占っているの? と聞くと「何だったかなあ」と、難しい顔のまま応えてくれた。