第39回 あの人に伝えて

父は若い頃から伝書鳩を飼っていた。多い時には数百羽でレースに参加した事もあったらしい。今はもうこの国には伝書鳩を飼う人はほとんどいなくなっていて、祖父が飼っているのも最後の一羽のみ。最近はこの鳩と話し込むのが祖父の日課である。日向で話していると、鳩を両手で抱えたまま眠ってしまう事があって、手の中で困った顔をしている鳩を私が助けた事もあった。

「鳩は向かうんじゃない。帰ってくるだけなんだ。知らない場所でいきなり空中に飛ばされて、必死にココに帰って来るんだよ。だからココにいるときはどこまでも甘えさせてやるんだ」女遊びが好きだった祖父と喧嘩した祖母が、家を飛び出して何日か後に戻ってくると「また戻って来たよ、全く鳩みたいな奴だな」とまだ幼かった私に小声で愚痴っていたのをよく憶えている。

そんな祖母が亡くなって半年。祖父は最後の鳩を連れて旅に出た。「遠いどこかでこの鳩を飛ばすから、ちゃんと巣箱を開けて待っててやれよ、足には手紙を入れておくからな、ちゃんと読むんだぞ」そう私に言い残して。祖父はきっと帰ってくる気はないんだろうなあ、とその時私は何となく感じた。帰って来なくなってしまった祖母の元に、今度は祖父が帰る気なのかもしれない。

だから私は鳩が帰って来るのを気長に待つ事にした。毎日夕方、屋上にあがって鳩の巣箱を確認する。そしてしばらく夕焼け空を仰ぐ。渡り鳥の中に混じるあの伝書鳩を探すために。