第25回 聞こえる景色

京から福岡へ高速バスで行こうと思いついたのが3日前。もちろん安さにも惹かれたが、車窓から刻々と変化する風景をゆっくり眺めながら移動してみたいと思った。買ったまま聴いてなかったCD、小さいボトルのお酒、すっかり内容を忘れた小説を鞄に詰め、新宿でバスに乗り込んだときは、これからの旅路への期待でやや興奮していた。

しかしそんな淡い期待では福岡までの15時間にまるで立ち向かえなかった。大阪あたりでほとんどの乗客が下車した車内は、広島を過ぎたあたりでついに俺一人に。誰かのいびきで良く寝れなかったし、もうどうやって体をよじっても腰が痛いし、足の先はむくみでパンパンになっていた。

「飛行機だったら今頃ホテルのベットで寝そべってるはずだ」「眠くなる音楽をどうして持ってこなかったんだ」

そんな事ばかり考えては、安易に高速バスを選んでしまった自分を責めていた。

その時突然マイクで話しかけられた。「お客さん、前に来ませんか?」少し驚いたが、トイレ休憩の時に何度か話をしていたし、この退屈な時間が少しでも短く感じられるならと思い、運転席の近くに移動した。交代の運転手も既に下車していて車内には2人きり。すると何気ない会話の後に、彼は不思議な話を始めた。

「流れる風景を40年くらい見てるとね、話が出来る木を見つけることが出来るんです。話といっても通り過ぎるだけだから挨拶程度しかしないですがね。でも話せる木がたまにいるんですよ。そんな木達はね、古い木の場合が多いんですけどね、木達同士でゲラゲラ笑ってたり、ちょっかい出したりしてるんです。中には人懐っこい木もいてね、雨がそろそろ降るよ、とか、この先は風が強いよ、とか教えてくれるんです。実は私はそろそろ引退なんでね、今日の運転中は『今までありがとよ』ってずっと挨拶してましたよ。あいつらもいつ伐採されちゃうかわからないですからね」

そう話す運転手の横顔はとても柔らかだった。俺がここにいるとせっかくの別れを邪魔しちゃいませんか? と聞くと「あいつらは全部分かってるんです、何もかも。何しろ地球と体が繋がってますからねえ。ここにあなたが座ってる姿を見て笑ってますよ」と教えてくれた。俺はなるべく目をこらして、一瞬で過ぎて行く木々を次々と眺めてみた。

もちろん何も聞こえてはこない。

人間が動物だった頃の記憶を辿り、俺はゆっくり目を閉じた。

到着まであと数時間。木達よ、どうか一声だけでも。