第10回 毛糸の感触

たしは小さい頃、銀行が嫌いだった。色んな場所から無機質に喋り続ける機械の声が苦手だったし、静かに順番を待つ人々の姿もどことなく緊張感がある。だからあたしは、いつもお気に入りの人形を抱えて銀行について行った。

その日はママとのお買い物の後だった。どうしても欲しかったワンピースが売り切れで買えなかったあたしはとても不機嫌で、いつもならママにくっついてキャッシュディスペンサーの前まで行くのに、順番が来てもぐずったままうつむいていた。歩いていくママは何度かあたしを小声で呼んだけどすぐに諦めた。

うつむいて数分間、いやきっと数十秒間だろう。急に不安になって来たあたしはママに駆け寄ろうとした。でも、ママがわからない。全員後ろ向きで並んでいて、誰がママなのか全くわからなくなってしまった。あたしにはとにかく恐怖だった。涙が後から後からあふれて来て、ママを呼ぶ声は絶叫に近づきつつあった。その時、肩を優しくポンッと叩かれた。

相手は抱えていた人形だった。毎日話しかけていたその人形に肩を叩かれても、なぜか不思議な気はしなかった。人形は「まったく呆れた子だねえ」という顔をしてどこかを指差していた。その指の先にママはいた。あたしは人形にお礼を言ってママに駆け寄り、今あった事を話そうとした。けど人形はまた人形に戻ってしまっていた。

毛糸の丸い手で叩かれたあの感触。結婚した今でも、あたしはこの時の思い出を大事にしている。