第81回 線路は続くよどこまでも

嫌な予感がした訳ではない。でもいつもと何か違っていたのだと思う。私は駅に近づいた時、普段より早めにブレーキに手をかけていた。いつもの彼がいるのが見える。毎朝同じ場所に立ち、到着する電車の写真を次々と撮っている彼は、特に珍しくもない電車まで撮影してくれるので、運転士たちの間でかなり有名人だった。あれ? 今朝はカメラを構えてないな、と思った瞬間、彼は下を向いたまま線路に飛び込んだ。

仮眠室に戻ってもまだ心臓の鼓動が激しかった。飛び込みはいつも警戒しているし、もちろん初めての経験ではないが慣れるものじゃない。夜になって「彼は一命をとりとめた」という連絡を会社からもらい、やっと少し気分が落ち着いてきた。一体彼に何があったのだろうか。私達が運転する電車にカメラをむける彼の表情はいつも晴れやかだった記憶がある。私が責任を感じる事ではないとわかってはいるが、毎日会っていた人間としてやはり心にしこりが残ってしまう。

あれから数ヶ月が経ち、夜勤を終えて電車で帰ろうとしていると、目の前に彼がいた。足の怪我が酷かったのかもしれない、車いすに座ってカメラを構えている。電車が好きなんですね、と話しかけると「電車は、いつも僕を、救ってくれるんです」と彼は言った。向こうに駅に入ってくる電車が見える。カメラ覗かせてください、突然の私の申し出にも快く彼はカメラを渡してくれた。ファインダーを覗くと、カメラを向ける私に驚いている運転士が見える。でもすぐにそれは微笑みに変わった。隣の彼が誰なのか気がついたからだ。私がカメラを返すと彼はすぐに写真を撮り始めた。「なんだか、運転士さんが、笑ってますよ」カメラを構えたまま、彼は嬉しそうに言った。