第127回 声の記憶

「やっと見つけたぜ。俺はあんたに憧れて育ったんだ。いつか会いたいってずっと願ってたんだ」訪ねて来た若い黒人が興奮気味に私に言う。私には一体何のことかさっぱり分からない。君は誰かと私を勘違いしているよ、そう言っても若者は一向に譲らなかった。「何言ってるんだよ、間違うはずが無いじゃないか。あんたのその声を俺が何百回聴いたと思ってるんだよ」「なあ頼むよ、ここにサインしてくれ」そう言って彼はバックから一枚のレコードを取り出した。

私がこの国に亡命して70年近く経っただろうか。夜中に父親に叩き起こされて、有無も言わさず貨物列車の荷台に載せられた。目立たないように2人ずつ逃げ出し、母親と弟とはここで落ち合う約束だった。でも2人がいない。父親は何度も何度も母親の名前を呼んでいた。とうとう列車が動き出した時「駄目だったか」とつぶやいた父親の横顔を、私は鮮明に記憶している。あの日以来、私は母親と弟に会っていない。

LPのジャケットに写っていたのは双子の弟だった。30歳くらいの写真だろうか。今までいくら調べても見つけることが出来なかった弟。生きていたのだ。私が声も出せずに凝視していると「やっぱりあんたじゃないか。俺はこのレコードを近所の婆さんに聴かせてもらってからずっと夢中なんだよ。こんな歌が歌いたいって思い続けてやっと歌手になれたんだ。だから恩返しがしたくてあんたのことをずっと探してたんだ。まさか同じ国にいるなんて思わなかったぜ」

この若者に沢山聞きたいことがあるし、話したいことも沢山ある。しかしうまく言葉が出て来ない。ひとまず店の中で一緒にレコードを聴かないか?そう言うのがやっとだった。若者は満面の笑みを浮かべながら頷く。私は丁寧にレコードを取り出し、そっと針を落とした。聴こえて来たのはまぎれも無い、私達の声だった。

photo by manabu numata