『アメリカン・スナイパー』を殺害した男の壮絶な半生に迫る column150320_usa_5

ルースと母

入隊後、ルースは軍の兵器係に配属された。幼い頃から父親と共にハンティングをしていた経験を持つルースにとって、故障した武器を修理する兵器係はうってつけの仕事だった。そして2007年、ルースはイラクへと派遣された。ルースにとって戦場での経験はあまりに衝撃的な出来事の連続だった。追撃砲による攻撃を何度も目の当たりにし、捕虜収容所では人間扱いされない捕虜たちの過酷な生活に心を痛めた。ルースの父親はイラクからかかってきたルースからの電話を今でも覚えている。パトロール中に銃を発砲する子供を見たというルースは酷く動揺した様子でこう告げたという「もし僕が子供を殺したらどう思う?」。ルースは明らかに戦場での自分の立場に葛藤を覚えていた。

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次ページ:「僕は強かった。あの子は食べ物を欲しがっていたけど、僕は与えなかった」

2009年、約2年振りにテキサス州へと帰ってきたルースは、姉の結婚式に参列していた。イラクでの経験を人へと話したがらず、朝から酒を飲んでいたルースはこの日、庭で姉と会話をしていた際に、隣人が打った釘打ち銃の音に反応し、突然取り乱したのだ。そして、地面に這いつくばったルースは周囲に向かって「伏せろ!」とわめき散らしたという。家族はルースが変わってしまった事に気がつき始めた。

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2010年1月12日、ハイチで20万人以上の死者を出した大地震が発生。人道支援活動としてルースは再び現地に派遣された。そこでルースは山のように積まれた犠牲者の遺体をトラックの荷台に運び続けた。浜辺に浮かぶ乳児の遺体の回収もした。中でもルースが心を痛めたのは、お腹を空かした少年に食事を求められた時だった。軍の指令により限られた携帯用の軍用食を少年に与える事ができなかったのだ。後にルースは母親にこう告げたという。「僕は強かった。あの子は食べ物を欲しがっていたけど、僕は与えなかった」。指令に従い少年に食糧を与えなかったルースは、以降この事を後悔し続ける。そして同年6月、ルースは軍を除隊した。

除隊後、ルースは軍隊時代の友人の助けもあり軍の武器を修理する仕事が決まった。そして職場のあるニュージャージー州へ向かうフライトの最中にルースはパニック発作に襲われてしまったのだ。その後、ルースは地元であるテキサス州に戻った。