Interview : SHOHEI TAKASAKI
Qetic1周年フライヤーにペイント!落書きだってアートになる。ショウヘイタカサキが語る
教科書に落書き、トイレに落書き、街角の壁に落書き
日常のなかで目にとまる落書きってどうしてあんなに印象に残るんだろう。
誰にでも一度は経験があるだろう。人と電話で話しているとき、メモのはしきれに知らず知らずに描いている落書き。あれって後から見るとなんだか無償に愛着がわいて捨てられず、いつまでもキープしてしまう。あるある。
ほろ酔い気分で居酒屋さんのトイレに入ったとき、「やっと一人になれた」という意味深なつぶやき書きと一緒にイビツなネコちゃんの絵が落書きされていた。うーん…わからなくもないなあ、なんて落書きされた壁に向かって一人つぶやいてしまう自分、そのなんでもないネコちゃんの絵とつぶやき書きを今もトイレに入るたびに思いだしたりする。あるある、あるある。
けれどおんなじ落書きでもスペインに行ったとき、歴史的建造物に「やすこ ハート ひろし参上」って落書きをみつけ、そのやすことひろしを見つけてグーでパンチしたい気持ちになった。あるある、ある?
わたしには“芸術”を語る深い知識はないけれど、アブストラクトに描かれた作品などをみたときには、おお、なんだこれは! 落書きみたいだぞ と思いながらも、その描き手の表現に心を奪われる感覚が楽しくてたまらく思う。自分の気付かないところで養われている芸術感覚の一部は身近に存在する“落書き”によって影響されているものも、あるのかもしれないと感じる。
「芸術への興味や理解においてその価値観はそれぞれで、こうでなきゃいけないなんてルールはないと思う。描き手がそういう基準で、みる人を選びたくない。だから、ただ楽しめばいいんだよ」
以前Qeticでも特集したぺインターでありアートディレクター、デザイナーとして活動するアーティスト、ショウヘイタカサキに会った時、彼がそんなことを話していた。彼の描く絵には、ちょっと頭の中にお邪魔いたします と思わずのぞきこみたくなるような、ひと目でガツンと脳にインプットされるインパクトが在る。それは時に落書きのように意味深で、時に自分の感情をぐらぐらと揺さぶるような強いエネルギーだ。
「死んだら終わり。今できることを全てやる」
この一言を、キリリと言い切れるショウヘイタカサキの潔い生き方が彼の表現としてリリースされていき、ひとつの“絵”として変わるのだろう。
実は、今年の春で1周年を迎えたこのウェブ・マガジンQeticの記念フライヤーをショウヘイタカサキが手がけてくれた。落書き感覚で生まれたQeticのゆるキャラを差し出し、「ショウヘイさんの好きにしてください」と申し出たところそこに意味ありげなペイントをほどこしてくれた。その絵は、見ればみるほど愛着がわいてしまう、自分の手元へとキープしてしまいたくなる愛すべき落書きみたいに。
その記念フライヤーを片手にもう一度ショウヘイタカサキと話がしたくなって、彼のアトリエを訪れた。
落書きはアートなのかな? まずはそこから聞いてみた。
落書きってなんでしょう?アートと呼べる?それともアートじゃないと思う?
「落書きだってアートなんだと思う。なんて、落書きがアートであるかアートでないかという事自体を決めてしまうのがよいことなのか疑問ではあるけど。もちろん描き手がこれはアートなのか、落書きなのかを決める事もあるし。けれど、最初から落書きと思われるものをアートだ、アートではない、と考えるのはそれを観た人それぞれが決めること。人の価値観によって色々な意見があると思うからね」
絵を描く時に、その絵と向かい合って会話すると以前聞きましたが、そのコミュニケーションから生まれた表現がリリースされて作品として完成されるの?
「それは絵というよりも自分自身と会話をしているのかも。絵を描く時にもう一人の自分と会話していることを、実は自分が描いた絵と会話しているんだと錯覚しているのかもって最近思うことがあるね。自分自身が映し出されているってことなのかも」



















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